食堂について語るとき僕が語ること

ときに希望を持つことが行動を生みだす。
ひとつの行動が波紋のようにひろがり、予期せぬ誰かに届くことがある。その刺激が共感され、誰かを励ますポジティブなものになれば、それは素敵なこと。たとえ共感されずにぶつかったとしても、何かが生まれることもあって、それはそれで楽しい。

あるとき、食堂をつくろうと思った。人と出会い、深く知り合う。知り合ってゆく。そのときに人と人の間で交わされる気持ちやアイディアから生まれる物語が、円を描くようにひろがりながら輪となるなら、それこそがまた希望となる。

お米を炊いて、料理を作る。毎日繰り返すこと。日々の生活にあたりまえにある料理は、誰かと自分、誰かと誰か、人と食材、人と地域、人と「何か」を繋いでくれている。どんなに時代の流れが速くなっても、それに変わりはないんだと思う。僕とあなたの間にも料理があるから関わりがはじまり、場が生まれ、会話が始まるから知り合える。言葉以外にも、僕とあなたの間に漂えるものがあってよかった。

昨日の上に今日が在り、明日を感じる。できれば手の届く範囲で、そんな毎日を過ごすことに希望を感じる。たとえば、土を耕し、種を植え、水をやり、収穫を待つ。代々その土地を耕してきた人たちがいるからその土があり、その実りはある。農村で今年つくった土が来年に活きてくることと同じように、町に連綿と流れるものがあるとするなら、人と人の間に在る物語からはじまるように思う。

思ったこと、感じたことを掬いあげ、誰かに届くように本にする。その結果いまこの文章を書いている僕がいて、これを読むあなたがいる。こんにちは、はじめまして、ありがとう。たとえば、とても些細なことであっても、この文章が読まれたことによって始まる誰かと誰かの会話なんかがあるとするなら、僕はこの本を作った価値があると思う。同じように、お店を開けることではじめて生まれる風景があると信じているから明日もお店を開けることができる。昨日と明日の間にいまの自分が在ると、感じることができる。

あなたにとっての希望とは何だろう。どんなときに感じて、どんな色、形をしているだろう。いつか会うことがあるならばそれを聴いてみたいと思う。

ZINE『食堂の生活詞』より
〔食堂について語るとき僕が語ること〕
2020.8.15発行

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